[002te]楢原実規男⇄樋口翔平
楢原実規男(ninaite)⇄樋口翔平(miraite)
区画整理前の西鉄花畑駅付近。細くて怪しくレトロな木造建てが並ぶ一角にあったクリーニング屋の中にあったゲームセンター。スーパーファミコンから、プレステへ。ポケベルからPHSへ。当時の諏訪エリアの思い出は?と聞かれても、ひととき深く考えこむも、一つで出したらたくさんの思い出が溢れ出てきた。小さな頃から父のワークスペースだった川辺や海辺に連れていってもらい、その当たり前の光景を僕が次につなげていきたいんよね。
ninaite 楢原実規男 諏訪中卒業生
お母さんから「あなたは小さなことから本当にボールが好きだったんよ!」と昔からよく聞く。今はサッカーがやりたい。テレビで見るのも好きだけど、自分でやってみたい。担い手って言葉を初めて知りました。何となくわかったような気がする(笑)話せてよかった。おじちゃん。今度ボートに乗せてください。
miraite 樋口翔平 西国分小学校3年生
担い手002 楢原 実規男
久留米市長門石町にあるボート・釣り具コンフォートを父と一緒に親子で運営している楢原実規男さん。ご自身も2児の父でありながらも、船舶免許の講師や、高校の教師(理科)の資格も持ち、金丸校区の第5分団消防団や、まちづくりプロジェクトchietsuku、PTAなど数々の顔を持ち地域でその役割をこなす。そんな楢原さんから諏訪エリアの担い手として、今もなお地元で活動し続ける訳を聞かせていただきました。
諏訪中エリアの想い出は?
諏訪中の? ん〜、、、。あぁ。中学生の時「さんわ」っていう、花畑駅近くのクリーニング屋でさ、駄菓子あってゲーセン担っているとこあったよね。いまパッと言われて思い出すのがあそこかな。まだ区画整理前で個性的な日本のアンティークな木造地帯だったよね。そのゲーセンでみんなでストツー(ストリートファイターⅡ)やってた。1プレイ50円?100円?どっちか覚えてないなぁ〜。狭いスペースだったんだけど、結構中学生高校生が10代無いくらいのゲーム機に並んどったなぁ。当時の写真とかないとかいなね。当時六ツ門エリアのショッパーズって百貨店前には「ハルコマ」ってゲーセンあったよね。ん?今もあるか!
ここでなぜか話は、それにそれて対談形式に
楢原「しょうへいは、やりたいことなんかないとね?」
しょうへい「サッカー」
楢原「お〜。仲間できるやん」
しょうへい「そうとね?」
楢原「そうやろう〜。」
しょうへい「あ。そうやん。お金がないときって、どうすると?」
楢原「え?(笑)、、、耐える。うん。そこは耐えるんよ。」
しょうへい「へぇ〜。耐えるとね。」
楢原「耐えると考えるとよ。」
しょうへい「あ。どうやって宇宙はできたと?」
楢原「宇宙(笑)飛んだけど面白い質問やね〜!どうやってできたと思う?」
しょうへい「わからん。」
楢原「人はまだ誰も、ちゃんとわかってらんとよ。
しょうへいが、どうやってできたか想像することが大事
しょうへい「うわ〜。まじでわからん(笑)」
楢原「何もないとこから神様がつくったできた。とか」
あなたは何の担い手ですか?
コミュニティマネージャー「 あの、、。そろそろ担い手の話の方をいいでしょうか?」
しょうへい「あ。そもそも担い手ってなんね?」
楢原「担う。背負う人ってことたい。」
しょうへい「んじゃ。あなたは何の担い手と?」
楢原「おじちゃんは、かわの担い手。」
しょうへい「、、、、なんで。川の担い手?」
楢原「かわが好きだから」
しょうへい「ふっ。」
楢原「あ!今鼻で笑ったやろ〜。」
(一同爆笑)
「 川の担い手 」
釣具屋、そしてボートの修理や販売業、船舶免許講師など、川や池や湖など水辺のアクティビティーの提案を代々生業として行ってきた楢原氏。そんな彼の父と、話す機会があり好奇心で仕事について聞いてみた。すると「われわれは水辺の休日の提案なんだ」と答えてくれました。そんなお店の担い手の楢原氏が「自分は川の担い手」と言ったことは、もうごく自然なことだと感じる。また対談が終わり楢原氏は、「担い手」という言葉に初めて出会った、自分の子どもと年も近い未来手しょうへいと、今度筑後川のクルージングの約束をしていたことも、私たち自身が少しほくそ笑んだ。
writing/cm OkinaMasahito
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